イリエワニの眼

エンジンの音が森に響く朝。

ボルネオの朝。
ボルネオの朝。

カヌーは大河に波を作り、

水面には自分が映っていた。

自分がいるということが、

なんだか借り物のようで不思議である。

ガイドのファイジャンが、

慣れた英語でカワセミの名前や、

木からぶら下がるフルーツについて答えてくれる。

サイチョウという鳥やカニクイザルたちがそこへやってきて、会話をするように奪い合っている。

虫とカエルの声で、

正直あまり眠れなかった僕にとって、

額にかかる水飛沫や、泥のまろやかな匂いはいい目覚ましでもあった。

眠い目を擦ってカメラの水を拭いていると、

大きなイリエワニが川岸に見え、その大きさはカヌーが近づくにつれわかっていった。

カヌーと比べて遜色ない、全長5mは優に超えるイリエワニだ。

近づこうとするファイジャンに、

みんなの顔が少したじろぐ。

ワニの瞳をレンズ越しに除いた時、その瞳の優しさに、背中から力が自然と入り、

心の底にある恐怖感が汗になって表出していた。

イリエワニ ボルネオ島にて。
イリエワニ ボルネオ島にて。

生き物と対峙する時、

自分の中にある好奇心が、ゆっくりと湧き上がるまでのその時間について考える。

とても長い時間、

カメラを構えていたような気がする。

人差し指がシャッターボタンを離し、顔をあげる時、周りの景色が新鮮と思えるほどだった。

情報量が、ワニを取り巻く環境が、

蜃気楼のように揺らいでいる。

そのめまいに似た何かが、瞬きもしないイリエワニの静かな畏怖をいっそう際立たせる。

まだ眠たいのかもしれない。だけど目は冴えていた。

あいつの瞳には、

僕がほんとうに写っていたのだろうか。

イリエワニは、

全てがお見通しのような顔をしていた。

ピクリとも動じない巨体と、

揺れるカヌーの対比が、なんだ面白い。

僕は小さくなっていくワニから、

目を逸らすことができなかった。

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