個展『北海道の生命』の写真を一部公開、解説します。

みなさんこんにちは。高橋レオです。

現在、個展『北海道の生命』が6月から8月30日まで札幌、天使ギャラリーにて開催中。

今まで撮ってきた5年間の北海道の軌跡がご覧になれます。

この写真展は、わかりやすくいうならば、

大学在学中に痛感した「生息地の消失」などの無念の数々を、形にして表現したものです。

そして毎年この夏の季節になると思い出す「祖父の死」という出来事、

東南アジア、南米アマゾン、コスタリカといった貧乏旅での記憶も、反映されています。

(シャングルの中で毒蛇に遭ったり、熱中症になったり、トコジラミに噛まれたり、お腹を壊して死にかけたり。そこまで凄いことはしていないけれど、色々なことを体感した)

「死」は母方の祖父が死んでから、初めて当事者として降りかかってきました。(当初は堪えた)

半年後、父方の祖父も亡くなってしまいました。そして畳み掛けるように、父まで大腸ガンに。

あの時は、きっと厄年でした。

僕はそんな中、逃げるように「旅」を始めました。

2017年の石垣島に始まり、2018年のボルネオ島(これは大学の実習だったけど)、インドネシアフローレス島、2019年のペルー、エクアドル、コスタリカ。連続ではないけれど、海外を点々と。

厳しい環境に身を投げて、自分がどうなるのかを知りたかったのです。

結果はすぐにはわかりませんでしたが、

地球を少しだけ広い目で見てきたからか、

旅は死を美しいものとして魅せてくれたような気がします。

何より「自分が今やりたい事をやる」と言う気持ちになれたのは、「人は案外、いつ死ぬかわからないんだ」ということを思い知らされたからでもありました。

父は現在も闘病中ですが、見ている限りむしろガンになる前より、元気なように僕は思います。

僕が思い出として撮影してきた出会いと別れの数々は、

いつしか北海道の生き物たちの図鑑を作るという目標よりも、かけがえのない作品となっていきました。

今回の写真展で紡いでいく作品たちは自然写真としては、あまり価値のないものかもしれません。

図鑑には使えないかもしれないけれど、もう一度撮ろうと思っても撮ることはできません。

そんな写真たちで、北海道の季節、時の流れを表現しています。

ここまで自分の話をしたのは本当に初めてかもしれないけど、

打ち明けたこの文章を最後まで観てしまった皆さんにはぜひ最後まで、

観ていってくれると嬉しいです。

そして写真展にも足を運んでくださると、

もっと嬉しい。

それではスタートです。

『MICRO COSMOS』:キタサンショウウオ
小宇宙。
それは産み落とされた、
生命のみなもとであった。

4月。

道東の大湿原に煌めく。産み落とされたばかりのキタサンショウウオの卵は、

日光に当たると青く輝く。

その姿は「湿原のサファイア」とも呼ばれているほどだ。

-2017年撮影-

『鳴動』:ジムグリ
カタクリの花をかき分けるように、
半年ぶりの大地を嗜む蛇。

日本に広く分布するジムグリ。

本州では高地などの気温の低い地域、時間帯でしか見られない。

春と聞いてほとんどの人が華やかなイメージを抱くと思うが

北海道の春は、凍てつく寒さと春風を交互に繰り返しながら、

ゆっくりと雪解けへと進行する。

厳しくも美しい北海道の春。

数ある春の写真の中から蛇というだけで厄介払いされがちな彼らを、あえて華やかな春の被写体として選んだ。

-2016年撮影-

『森の宝石』:オオルリオサムシ
ニリンソウが咲く頃。
陽光を浴びた甲虫が、
虹を纏い歩き出す。

北海道固有種のオオルリオサムシ。

彼らの翅は構造色という構造をしていて、

太陽の光を屈折、乱反射し、角度によってさまざまな色を見せる。

タイトルの通り「歩く宝石」と呼ばれており、

後翅は退化しているため飛ぶことができない。

以上の理由で山や川で生息地が分断されることが多く、

その地域特有の亜種は数多い。

-2017年撮影-

『芽生え』:ヤマゲラ
皆、土に帰る。
新たないのちの一部となるために。

日本では北海道のみで見られるキツツキの仲間。

まだ死んで間もないであろうその目元にすかさずやってきたキンバエの仲間が産卵をしていた。

人間の社会にいると、忘れがちな光景の一つである。

僕は彼らの死に遭遇するたび、皆無駄ではないということに感動し、

時折、羨ましくもなる。

初夏のある日のことだった。

-2019年撮影-

『ORORON LINE』:ウミガラス
波の中、ゆらゆらと流れる三羽のオロロン鳥。
少し先、北海道の未来を魅せてくれた。

昔からオロロン鳥と呼ばれ、親しまれてきた北海道のウミガラス。

1940年代、天売島にはかつて4万羽を超えるウミガラスが生息、繁殖していたが、

漁業の発展と共に「流し網漁」の網に混獲され、数を減らし、

2000年には20羽まで減少。しばらくの間繁殖数は”ゼロ”が続いた。

本来は群れで雛をカモメやカラスなどの天敵から守るのだが、

その力がなくなってしまったことが原因らしい。

近年は天敵に襲われにくい営巣地への誘導などが功を奏し、

2020年夏のヒナの巣立ちは近年最多の24羽。10年連続で巣立ちが確認されるまでになった。

写真は夏、三羽のウミガラスが並ぶ、とても珍しい写真。

-2018年撮影-

『はまなす紅く色づく頃』
紅色に染まった大きな実が、
夕暮れの海岸に秋の訪れを知らせている。

北海道の秋。

紅く焼ける太陽に北海道の海岸の象徴「はまなす」が照らされていた。

夕陽と絡めた写真はたくさんあるけれど、

自分の撮った夕陽の写真の中では、この写真が一番好きだ。

-2020年撮影-

『みのり。』:シマリス
冬眠に備える一頭のシマリス。
懸命にもみじの種を頬張るすがたに
「また来年」とつぶやいた。

あんまり枝を器用にのぼるので、

遠目で最初はエゾリスかと思ったのだが、シマリスだった。

身体と比べて尻尾も長いので、おそらく当年生まれの子だろう。

もしかしたら、この個体は初めての冬を越すのかもしれない。

そんなことを考えると、少し胸が熱くなる。

-2018年撮影-

『LAST DANSE』:エゾシカ
氷の上をものともしないのは、
道を知っているから。

それにしても、なぜこんなにも彼らは自然の中で生きられるのだろう。

僕が身体一つで野に放り出されたら、何日持つのかわからない。

自然と対峙しているとそんなことをよく考えるが、

きっと彼らは毎日を無我夢中で生きているだけだろう。

-2018年撮影-

『LIFE OF WETLAMDS』:タンチョウ
これまでもこれからも、
北海道を証明する者として
彼らは生きていく。

一時は絶滅の危ぶまれたタンチョウも、近年分布域が拡大してきている。

喜ばしい声も聞こえる中、農業被害やその他の軋轢を懸念する主張も少なくはない。

この写真は道東の写真と思われるかもしれないが、とある道央の河川で撮影した。

彼らはこれからも北海道の豊かな湿地に生き、死んでいく。

それは北海道にとって良いことばかりではないかもしれないが、

「彼らが住める」という証明が、僕ら人間にとっても必要なパロメーターであると、

僕は考えている。

彼らはどこにでも住めるわけではないのだから。

-2021年撮影-

写真展は、全部で24点の作品が厳選されています。

近々動画で作品ごとに、解説したいと思います。

いつか写真集になったら、

一番最初にばあちゃんにみせにいきたいね。

なんつって。

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