2019
24
Jul

写真とは

伝えるということ。

僕にとっての正しさは、

必ずしも人の常識ではない。

だからこそ僕は、写真を撮っている。

屋根の上でじゃれ合うカニクイザルの兄弟。

旅をするにつれてさまざまな問題の片鱗に遭遇し、世界で起こっている環境問題や、野生動物と人間の軋轢を伝えようという思いが強くなってきた。

写真では僕のエゴ、様々な正義が取っ払わられていく。完全に取っ払える訳じゃないけど、いろんな意図が雑多に入り込んでくる。一枚にも色んな物語があるんだ。

こないだ僕は東京写真美術館で

「世界報道写真top100」を観てきた。

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3437.html

一番最初に目に入ったのは、警察に捕まった難民家族。足元で泣き叫ぶ子供の写真。(ドナルド・トランプによるアメリカの政策によって、難民だとバレたら、親は刑務所行き。家族を引き離されてしまうんだ)そこで僕は思わずため息が出るほどのストーリーに感動したのだ。

ここで僕がドナルド・トランプを非難することはない。

そして家族の現実に目を向けた写真家が、左翼と右翼どちら側かなんて野暮なことは気にしない、というのが僕のポリシーだ。

写真は多面性を含んでいるから面白い。

インドネシア航海旅で見つけた信号機のようなゴミ箱。

僕は「どちらが正しいか」なんて興味がない。表現においては「議論を生ませる」ことが大事なのであって、答えが最初から用意されているアートは、僕にとってのアートではない。(これはあくまでも、僕が写真を撮る上で大事にしている事。僕の中での価値基準であり、人に押し付けるものではないというのは理解していただきたい。)

逆にいえば、人の心を動かせるならそれはアート。安らぎを与えるだけじゃなく、胸糞悪い気持ちにさせられるものもあるし、その振り幅がでかい作品を人は「深い」と称えたりする。みんなが当たり障りのないものを作っていけば、世界にアートはなくなると思う。

そういえば昔、

飢餓で死にそうな子供にハゲタカが近づいている写真を撮った、

戦場カメラマンがいた。

当然世間からは「なぜ助けなかったのか」という声も出て、後々写真家は自殺しちゃうんだけど…

じゃあそれがもしも絵だったとしたら、そこまで反響を呼んだだろうか?

人が見て心を動かされた理由は現実にあるからこそではないのか?

少女とハゲタカがそれからどうなったかをむしろ想像してしまって胸が痛くなって、世界の飢餓問題に想いを馳せる機会を与えてくれる…

それがリアルを写す写真の良さだ。

パーム畑に埋め尽くされるボルネオ島

ニホンウナギはこれからどうなるのだろう。

イエネコはこれからどうなるんだろう。

これから少しづつそんな行く末を、どちら側に立つわけでもなく生々しく記録するような報道写真を撮ってみたくなった。

君はどう思うのだろうか。

アートの場では答えをあえて出さない。

そんな時には是非考えを巡らせて、自分なりの答えを僕に届けて欲しいと思っている。

君の正しさは、

僕にとっても正しさなのだろうか。

そんな事を問いかけながら、

写真を撮るのだ。

コスタリカにて。ウミガメを守るため、ビニール袋を廃止しようというポスター。

 

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。