2019
14
Jul

偏愛紀行

俺だって学校は行きたくなかったよ

ゆたぼんとかいうただの不登校小学生、および親に物申したい人たちがたくさん湧いている。

端的にまとめれば彼が言いたいのは「学校に行きたくない」という自分の意思がないがしろにされる日本教育のおかしさである。

まぁ法律によれば義務なんだから行かなきゃいけないわけだけど、僕は君の自分で考える気持ちを尊重するし、とりあえず行っとけとか絶対に言わない。

理由は僕も不登校になったことがあるから。

自分が学校を楽しいと思えないのは自分のせいだろうけど、逃げても良いだろってゆたぼんは態度で示しているんだろうね。

プレッシャーがないというのは素敵なことだよね。そこらじゅうに学びは転がっているから、要は自分のパッションをどうやってコントロールするかというところだね。僕も飽き性な性格を操縦するのがここ21年の目標だった。

だけど元を辿れば、人はどのタイミングで何を学ぶことも自由だ。別にいつ漢字を覚えてもいいし、大人になってから計算を勉強してもいいはずだし、なんならすでに義務教育受けたって人も、全てマスターしている人はいないと思うな。

高校生の頃撮っていた生き物写真たち。何か技術も構図も堅苦しくて、自信のなさにあふれてる。笑

当時はどうして好きなのかも、どうやったら人に響かせられるかも分からず「ウケのいい写真」ばかり撮っていた。

自己表現ではなく、他人からの評価を第一にして、カラフルなものに踊らされていた。

それは別に写真だけじゃなく、僕の生き方自体がそうだった。

だけど写真が、

自分を探す唯一の手がかりになってくれた。

写真を撮るのがめんどくさくなって、カメラを持たなかった時期もあった。今思うとそれがとてもいい休息になったと思う。

答えはやっぱり撮っている時の僕の気持ち。高文連がなんだ、映える写真がなんだ。俺が撮りたい写真を撮らせろ。そう思い切って動けるようになるまでに、僕はだいぶ時間がかかったよ。それに比べて君は小学生。この時間をぜひ大切にしてほしい。勉強だって楽しくないと続かない。

人生自体が勉強の日々だし。

一時は高校生活を捨てようと思った僕だけど、こんなに打ち込めるものを見つけられた部活動には感謝している。

自分の学びを得た人間は、自分から学びの社会に入っていくんだ。

立場を変えれば、自ら勉強したいと思えるようにさせるのが大人だろう。

僕ら大人がやる事は学校に行けと論破することではなくて、たくさんの学びを提供していく事。

「選挙に行って当然」とか「若者の政治離れ」とか嫌味なこと言われるより「選挙に行くとこんな良いことがあるよ」と説明した方がずっと選挙者は増えるだろう。

僕はこないだ、3ヶ月ぶりに美容室で髪を切ってもらった。「最近卒論で忙しくて全然行く暇がなくて、後ろ髪自分で切ってだましだましやってきたんです」って打ち明けた時、「念願が叶って良かったですね!」とさっぱりと言ってくれた。僕はそういう人になりたい。決して「あーだから汚かったんですね」とか「これ他の人に切ってもらったでしょ?これじゃあセットするの大変だったでしょ〜」とか嫌味っぽく言われる場所をリピートしようとは思わない。

ゆたぼんは小学生ながら「学校にそんなことを言われる筋合いはねえよ」と言える貴重な存在だ。まぁ読み書き計算くらいはした方がいいと思うけど、君のやりたいときにやれば良い。僕も日本史の受験勉強の半分はユーチューブだったし。

自分の好きな方法でいいと思う。

ゆたぼんのユーチューブコメ欄には、面白そうな本とか送っておけば良い。

僕ならそうだな、

丸山先生がこないだ出版された「とんでもない甲虫」とか貼っつけておくかな〜

 

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