2020
28
Jan

偏愛紀行

個展『Lost In Hokkaido』の意気込みと、僕のこれから。

【まえがき】

個展『Lost In Hokkaido』。まだまだ知られていない北海道の生命を、拾い集めるように、つぶさにとらえてきた。

地球の片隅で刻一刻と過ぎる生死の流転は星のように煌びやかで、儚い記憶のようだった。

二枚の写真を組み合わせたこの写真は、既存の北海道のイメージと、僕の観てきたもう一つの世界との「融合」を意味している。

タンチョウのもつ美しさは万国共通で、世界からカメラマンが訪れるほどだ。しかしタンチョウの住んでいる大きな湿原には数多くの生命が暮らしていて、彼らはその湿原、湿原の生き物がいなければ暮らしてはいけないのだ。

僕はそんなかけがえのない生命にも目を向けていたい。僕にとってはそんな生命もタンチョウと同じように力溢れる存在であり、心踊らされる被写体である。

『Lost In Hokkaido』というタイトル自体は、一年前から使っていた。

野幌森林公園の交流館でプロモーションを繰り返して写真集を作ったり、南米や中米に行くことが自分の北海道への価値観を俯瞰的に見直す機会にもなった。

特に生命を感じたのはオオカワウソの家族だった。彼らの日常を観ていると、何気ない毎日にも様々な喜びがあることを思い出させてくれる。仲間とじゃれあい、魚を食べる。そんな当たり前のことに生命の力というのは集約されている。

僕はジャガーにも、ヘラクレスオオカブトにも会えなかったが、オオカワウソの家族をみていてそんな当たり前を思った。

結局北海道の生命も南米も繋がっている。

変化の著しいアマゾンの川。次々にできる三日月湖。そこに住む沢山の魚たちが、オオカワウソの大家族を支えている。

タンチョウが湿原の守護神であるように、オオカワウソもまた、アマゾン川の守護神である。オオカワウソがいることが、アマゾン川がアマゾン川であることの指標となるのだ。

なにより僕自身の目でそれを目の当たりにしたのはとても大きな経験となった。

それは日本を見つめ直し、日本の生命の価値を再確認する作業であったように思える。

憧れた世界を観てきたことでそれを終わらせるのではなく、僕の身近な世界を、誰かにとっての憧れにする。

それがアマゾンに行った僕の、

次の目標だ。

大学を卒業したらしばらく東京に身を置く。

挑戦したいことが山ほどあるんだ。

自分の力で、色々な人を巻き込みブームを起こしたい。日本の若者たちが惹きつけられるような生命の魅力を伝えたい。

東京に行っても応援してくれよな!

高尾山にて
 

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