2019
24
Jul

偏愛紀行

ニホンウナギ、それは刹那。

ニホンウナギ現状まとめ。

・2013年からレッドリスト入り。パンダより絶滅を危惧された種。今食べられてるニホンウナギの少なくとも6割が脱法ウナギ。国内外でヤクザの資金源。→種の保存、ワシントン条約にウナギを入れる気なし(国際規制する気なし)→環境省は「食べるなら予約してね」くらいしか言うことがない(国内管理もやる気なし)←New!!

ニホンウナギからニホンというワードを取っ払ってほしいと思わずにはいられない今日この頃。

もうね、ウナギが可愛そう。

日本なんかに産まれるんじゃなかった〜って言ってるよきっと。(正確に言えば産まれてるのはグアムの方なんだけどね)

環境省がウナギの消費ロスを無くしましょう!って言う事がどれだけおかしいのか、分かってない人が多すぎる。たしかにウナギを食べよう!って言ってるわけじゃないのかもしれないけど、保全する事を諦めてるとか、もう採ってしまったものは仕方がないとか思ってるのと同義。無駄なく食べようなんてわざわざ環境省に言われなくても、ね。(予約して買ってねっていうのもわざわざ環境省がツイートします?もっと他にツイートすることあるでしょうよ。

そもそもスーパーやコンビニで売られている現状をなんとかするためには、「丑の日のうなぎはあまり売れない」という数字が必要なの。

今年もこれだけの数字が売れたから来年はもっと売りましょう、っていうノルマが課せられてるから買えば買うほどドツボにはまる。だから「消費ロスを減らせ」というのはなんとなく的外れだよね。

ウナギが大量消費されるこの時期にその程度のツイートしかできないと言うことは、環境省の力量はその程度という事。

(この時期になっても僕たちは何もする事はできませーん!と言っているに等しい。)

ジュゴンより絶滅を危惧された生物が大量消費されるこの時期に、本来保全を訴えかける側が「消費ロスを無くそう」などと半ば諦観するようなツイートしかできないという、そんなバカな話があってたまるか。

僕は環境省には最初から期待をしていないからいいけど、ウナギを通して明るみに出る日本のお花畑王国加減にたまに虫酸が走ることがあったりする。

ウナギを食べる事を誰かに止められる権利なんて、法律でもない限り難しいが、心に訴えることはできる。それを一番やるべき立場が環境省であり、「食品ロスを防げ云々」と言うべきなのはどちらかといえば消費庁とか水産庁だと思うんだけど。

(元を辿れば、水産庁のガバガバ資源管理が招いた結果ではある…)

日本は平和だからこそ、

ニホンウナギを守ることができる。

今日も南アフリカでは象牙ハンターが人を殺してまで日本に象牙を売るために頑張っているかもしれないし、メキシコのヤク中は人殺しで今日を繋いでいるかもしれない。そんな状況では政治は務まらないし、環境のことなど考えてはいられない。

せっかくの日本。

日本はもっと先進国にしかできない振る舞いをして欲しいなって、最近は思う。


…だけどまぁ、そんな意見は僕の意見。

僕にとっての正しさは、必ずしも人の常識ではない。

だからこそ僕は、写真を撮っている。

写真では僕のエゴ、様々な正義が取っ払わられていく。完全に取っ払える訳じゃないけど、いろんな意図が雑多に入り込んでくる。一枚にも色んな物語がある。

複数の組み写真ならなおさらそうだし、

もっといえば僕が日頃撮っている写真全部をまだらに眺めてみるだけでも、良い面と悪い面両方が浮かんでくる。

こないだ僕は東京写真美術館で

「世界報道写真top100」を観てきた。

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-3437.html

一番最初に目に入ったのは、警察に捕まった難民家族。足元で泣き叫ぶ子供の写真。(ドナルド・トランプによる政策によって、難民の家族は殆どが引き裂かれてしまう)そこで僕は思わずため息が出るほどのストーリーに感動したのだ。

ここで僕がドナルド・トランプを非難することはない。

そして家族の現実に目を向けた写真家が、左翼と右翼どちら側かなんて野暮なことは気にしない、というのが僕のポリシーだ。

写真は多面性を含んでいるから面白い。

僕は「どちらが正しいか」なんて興味がない。飲みの場で好き嫌いを話す事はあるが、表現においては「議論を生ませる」ことが大事なのであって、答えが最初から用意されているアートは、僕にとってのアートではない。(これはあくまでも、僕が写真を撮る上で大事にしている事。僕の中での価値基準であり、人に押し付けるものではないというのは理解していただきたい。)

逆にいえば、人の心を動かせるならそれはアート。安らぎを与えるだけじゃなく、胸糞悪い気持ちにさせられるものもあるし、その振り幅がでかい作品を人は「深い」と称えたりする。みんなが当たり障りのないものを作っていけば、世界にアートはなくなるよ。

昔、飢餓で死にそうな子供にハゲタカが近づいている写真を撮った写真家がいた。

当然世間からは「なぜ助けなかったのか」という声も出て、後々写真家は自殺しちゃうんだけど…

じゃあそれがもしも絵だったとしたら、そこまで反響を呼んだだろうか?人が見て心を動かされた理由は現実にあるからこそではないのか?

撮ったことが正しいか、正しくないのかなんていうのはもはやどうでもいい。少女とハゲタカがそれからどうなったかをむしろ想像してしまって胸が痛くなって、世界の飢餓問題に想いを馳せる機会を与えてくれた。あらゆるアートにはその事実があればいい。

ニホンウナギはこれからどうなるのだろう。

イエネコはこれからどうなるんだろう。

そんな行く末を、どちら側に立つわけでもなく生々しく記録するような報道写真を撮ってみたくなった。

君はどう思うのだろうか。

アートの場では答えをあえて出さない。

そんな時には是非考えを巡らせて、自分なりの答えを僕に届けて欲しいと思っている。

君の正しさは、

僕にとっても正しさなのだろうか。

そんな事を問いかけながら、

写真を撮るのだ。

コスタリカにて。ウミガメを守るため、ビニール袋を廃止しようというポスターの前でスマホをいじる現地人、通りすがる人々。(iPhoneで撮影)

当たり障りのない表現ばかりが蔓延する日本において、アートは既に死にかけ。

”環境省にもアート精神が必要だね。”

 

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