僕らは特別なんかじゃない。

シラネアオイ

僕は注意力散漫で、方向音痴。

かと思えば1つのことに熱中すると、周りのことが見えなくなる。

よく忘れ物をするし、時間を守ることが苦手。天然といえば聞こえがいいけど、冗談が通じない場面でもやらかしてしまうので、その度に怒られてきたよ。

僕は生まれた時からこの性格と付き合ってきたし、多少の自覚はあったけど、僕としてもどうしてできないんだろう?の連続で。

自分はダメな人間なんじゃないか、なんて考えることもたくさんあった。

自分が嫌になるばかりだった。

でもこれって僕だけの問題ではないんだよね。誰だって多かれ少なかれ苦手なものがあるし、毎日頑張ってる。

誰しも自分の性格について悩んだことがあるんじゃないだろうか?

僕の入学した高校は、わかりやすく伝えるなら「自称進学校」と呼ばれるタイプの学校で、勉強もそこそこ厳しかった。

僕は遅刻ばかりで、提出物もろくに出せない。(なんかお医者さんや本がいうには脳の作りや癖などの複合的なものが理由らしい。)

もっと遡るなら中学の時からそう。部活で上履きを西側玄関に置いたまま帰って、朝に東側玄関から登校して、先生に「上履き取られたかも!」って言ったことが2回くらいある。

もっともっと遡るなら、小学生の頃から登校中に芋虫を探していて遅刻したり、休み時間のチャイムも聞こえないほど落ち葉の下にいるゴミムシダマシを探していたこともある。

こないだ幼稚園の頃の映像を見ていたら、僕だけ先生の話を聞かずにイスをガタガタさせて遊んでいた。

正直これがマトモとは言えない。笑

高校生の頃は思春期真っ只中で、しっかりとした大人になりたい!という思いにも溢れていたから、そんな思いとは正反対のダメダメな自分に嫌気がさして、学校に行けなくなってしまった。

どうしようもなかった。

その時初めて、精神科の先生からうつ病とADHDのどちらか、もしくは両方と言われた。

その時はちゃんとした検査はせず、しばらくして不登校だった学校に無理やり顔を出し、

「しっかりした自分じゃなくてもいい」と自己暗示をかけることで、気持ちが楽になりなんとか2年、3年、気づけば卒業まで乗り切ることができた。(今思えば奇跡だった)

大学から始めたバイトでも「やらかしのプロ」だった僕は、

沢山のミスをやらかし、社員さんやバイト仲間にたくさんのサポートを受けた。

ミスの多い僕のためにチェック表を作ってくれたSさんは本当に優しい人だった。

1年半続けたけど、常に謝らなくてはならない自分が情けなかった。

「僕は何者で、

これからどうやって生きていけばいいの?」

半年前から病院を予約して、バイトを辞めて答えを聞きに行くことにした。

自閉症スペクトラム(ASD)】

「広汎性発達障害」とほぼ同じ概念を指すものであり、自閉症やアスペルガー症候群、特定不能の広汎性発達障害などを含む疾患概念。自閉症やアスペルガー症候群などには互いの境界線を引くのは極めて厳しいため、スペクトラムと呼ばれている。

【注意欠陥多動性障害(ADHD)】

注意欠陥多動性障害とも呼ばれ、不注意(集中力がない・気が散りやすい)、多動性(じっとしていられない・落ち着きがない)、衝動性 (順番を待てない・考える前に実行してしまう)の3つの要素がみられる発達障害のひとつADHDはこれらの要素の現れ方の傾向が人によって異なり、「不注意優勢型」「多動性・衝動性優勢型」「混合型」の3つのタイプに分類される。

結果はこの2つの傾向だった。

診断聞いた時、

まさかのダブルコンボ!?と内心驚いたけど、

21年の人生の中で、クソポジティブ思考が身についた僕は、

「対処法もネットや本に溢れてる!薬で改善される事もあるし大丈夫だ!(僕は体に合わなかったけど)」

と、自然に思う事ができた。

世の中には僕の他にもうまく世の中に馴染めずに苦しい思いをしている人が沢山いると思うけど、もしも目の前に悩んでいる人がいたら、僕は「優劣というものは、自分と他人を比べた時に初めて生まれるものだ」という事を伝えている。

シマエナガ

例えばカワイイ、キレイ、といった価値観も、国や世代で大きく変わる。

目がない魚が深海には沢山いるように、ニュージーランドでは飛べない鳥が沢山いるように、僕たちの生きる環境は君自身が決めていいんだ。

忘れてはいけないのは「障害」は劣っているわけではないという事。

研究では、社会に身を置き周りに気を配りながら生活するサルと、ナワバリ外の世界に目を光らせるのが得意なサルは遺伝的に決まっていて、脳構造が違うなんて話もある。自然淘汰されずに残った僕たちは、僕たちなりの役割があるということだ。

障害というのは優劣ではなく、生物多様性における人類の多様性の一部である。

全ては多数派か少数派か。それだけ。

でもこんな綺麗事を言われてもなぁと思うかも。(僕は開き直るのが常なのでポジティブすぎて反感を買うこともある)

僕の開き直りは「仕方ねえじゃん?」と思うことではなくて、他の部分で補う事。苦手な部分と得意な部分を見極め、得意な部分をギャンギャン伸ばす事。

(例えば僕の場合はスケジュールや時間管理をスマホに集約させ、いつもメモをこまめに取るようにした。音楽を聴いて、時間の感覚を覚えた。方向音痴だから、歩く時にはGPSとSiriをフル活用。笑)

苦手な事は、人に極力頼む事にして、代わりに僕が出来ることを人一倍引き受けるようにしている。

僕の長所を自分で言うとしたら、中学生の頃から美術の成績はいつも5だったり、今は駆け出しだけど、写真家として活動をしている。

上手いかどうかはさておき、写真が本当に大好きで、かと思えば音楽も大好きで、最近はギターを練習していたりする。

学校とかバイトっていう環境にずっといたから気づかなかったけど、いざ自分から好きなものに飛び込んでいったら、僕が生きていく世界は広がっていた。

エゾリス

これからも僕はこの特性と一生向き合って生きていく。

精神科の先生が、こう言ってくれた。

人間には大きく分けて3つのタイプの人間がいます。

RPGゲームを想像してみてください。

先人に立って魔物と戦うのは、「戦士」。

万能型の「勇者」。

後衛の回復役は「魔法使い」。

勇者や戦士は目立ちますが、後衛の魔法使いがいないと死んでしまいます。

魔法使いが人と関わる時は、ある程度距離感を保つ必要があるかもしれない。

能力に偏りはあるかもしれないけど、きっとどんな役職よりも多くの人を癒したり、助けることができる。そんな力を持っているのです。

全ての人と深く関わろうとしなくてもいい。

みんなが配慮して欲しいなんて思わない。

お互いが一定の距離感を保ちながら、生きていければいい。

僕には僕の生きる道があって、それは自分で選ぶことができる。

遠くにいても、

どこかでお互いが恩恵を受けながら、

世界は回っている。

世の中にはいろんな性格の人がいて、

それぞれに適した世界がある。

生き物の世界ではこれをニッチと呼ぶんだ。

ツリガネニンジンの仲間

生きる道がわからない人がいたら、そんな人に僕はこう伝えたい。

僕らは誰も特別な存在なんかじゃない。それを決めるのは、全て自分、他人。

自分が特別じゃなくてもいい。僕も優秀じゃないけど、立ち向かっても逃げてもいい。

生きているだけでいいんだ、と。

僕は生きる道を”決めた”だけに過ぎない。

僕の意思で、選択しただけに過ぎない。

どんな生き方をしてもいい。

間違った生き方なんてないんだから。

僕らは、生きているだけで奇跡なんだから。

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