マレーシアという国が好きなワケ

たった一度しか行ってない僕が言うのもなんだけど、僕はすっかり、マレーシアの虜になっている。

こないだ、お風呂を溜め過ぎて、桶を使ってお湯を浴びていたら、マレーシアで水浴びをしていたあの情景を思い浮かべてしまった。

蘇る、懐かしい記憶。

…マレーシアは、適当な国だ。

日本で生きてきた僕には、心配になるほどに、適当な国だ。

例えば集合時間を決める時、「10時30分に集まろう」となったら、10時30分から徐々に集まりだすのがマレーシア。

マレーシア時間に慣れると、日本で順応するのに時間がかかる。

しかしマレーシアにいる間、疑問に思うことといえば、日本の事ばかりであった。

外国人が口を揃えて言うことトップ10に

「日本は時間に厳しい」は絶対入ると思う。数分刻みで時間を守ることに何の意味があるのか、日本人は考えたことがあるのか?

時間通りなんて無謀だろう。これを読んでいる人の中に、一度も遅刻した事がない人など居ないはずである。ではなぜ随一時間を細切れで設定してしまうのか。そして、守れなかった人に対して何か言わなければならないのか、言われなければならないのか。「守ろうとする気持ちが大事!」とでも言うのか。

日本では全て律儀に守る事が美徳とされ、守らないもの、守る事が出来ない人間は信頼を失ったりするが、一方で、

日本人はルールを守ることばかり考えているから、何故そのルールがあるのかまで頭が回らない人も多いのが事実だ。

(「時間を守る」ということに関して言えば、マイペースな僕でさえも、しばしば驚いてしまうほど、みんなルーズではある。だけどみんなルーズだから、特に現地の人たちは、困ってないようだ。)

マレーシアでは失敗は常に想定されている。簡単で楽なものが好まれる。遅刻も最初から想定されているし、仕事中も人が来ない時は座っている。なんならスマホをしている。

この国では「人に迷惑をかけない生き方」と言うのは人の目を気にして人に尽くし、何でも完璧にこなす事、ルールを否が応でも守る、なんて捉え方ではない。

大事なのは個々を尊重し合う事。みんな自分第一だから、ハナから相手に期待などしない。(というのは悪いように聞こえるかもしれない。)

正確に言えば、何かを考えるとき、何かうまくいかない時があったとき、相手を責めることなく、すぐに「自分は今どうすべきか」を考える癖がつく。ということだ。

結果、要領がよく、他人にも、自分にも優しい人で溢れている。

友達ならまだしも、赤の他人に何か注意する事など殆ど無い。私は私であり、人は人なのだから。

勿論失敗してしまっても、自分で反省し、どうにかするしか無い。相手に期待しないと言う事は、その分何が起こっても自業自得である。

マレーシアという国は、こういう国なのだ。

…実のところ、僕はあまり時間を守る事は得意ではない。スケジュールを組むのも、何かを逆算して考えることも苦手である。

日本にいると、時間を守るのは当たり前にされがちだが、日本にいても、このような性格、もしくは障がいを持っている人すら、割とたくさんいることを僕は知っている。

日本では全てが一律でなくてはならない。リクルートスーツを着て、髪型も髪色も一緒くたにされて、まるで機械のように、働かされるのが当たり前だ。

その異常さに気づかずに死んで行く人はごまんといる。

しかし、

当たり前のものが当たり前でなくなる時、自分の考えがいかに浅はかだったかを思い知らされるのだ。

当たり前から解放された時、

自分が救われる事もあるのだ。

世界は広く、狭い。

ここで、ある有名なおとぎ話のようなものを紹介しよう。知ってる人も多いかも。

メキシコの田舎町。海岸に小さなボートが停泊していた。

メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。

その魚はなんとも生きがいい。それを見たアメリカ人旅行者は、

「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたの」 と尋ねた。

すると漁師は

「そんなに長い時間じゃないよ」

と答えた。旅行者が

「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」

と言うと、

漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。

「それじゃあ、あまった時間でいったい何をするの」

と旅行者が聞くと、漁師は、

「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。戻ってきたら子どもと遊んで、

女房とシエスタして。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、

歌をうたって…ああ、これでもう一日終わりだね」

すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。

「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、

きみにアドバイスしよう。いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、

漁をするべきだ。 それであまった魚は売る。

お金が貯まったら大きな漁船を買う。そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。

その儲けで漁船を2隻、3隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。

そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。

自前の水産品加工工場を建てて、そこに魚を入れる。

その頃にはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティに引っ越し、

ロサンゼルス、ニューヨークへと進出していくだろう。

きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」

漁師は尋ねた。

「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」

「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」

「それからどうなるの」

「それから? そのときは本当にすごいことになるよ」

と旅行者はにんまりと笑い、

「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」

「それで?」

「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、

日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、

子どもと遊んだり、奥さんとシエスタして過ごして、

夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、

歌をうたって過ごすんだ。 どうだい。すばらしいだろう」

初めて僕がこの文を観た時、最後の一文に、悪寒が走ったのを今でも覚えている。

毎日朝早くから満員電車に乗り、残業して遅くに帰る。ブラック企業も多ければ、特別給料が良いわけでは無い…

そんな日本人のお金の使い道はどのようなものだろうか?

美味しいご飯?リゾート地に旅行?

大学のある先生も言っていた。「マレーシアに居れば、お金を稼がなくても、海へ行けばそこには水色の海と、日本よりずっと綺麗な砂浜が広がっている。お腹が空いたら魚でも釣って、その辺にあるフルーツを食べればいい。」と。

今の環境で得られない物があるのなら、手に入れればいい。それがお金によってもたらされるかどうかは、また別の話なのだ。

文化の違いで済ませてはいけない。

そこには文化を介した、

人々の思想の違いがあるからだ。

日本の幸福度が低いのは、文化や伝統の中に入り混じった、人々の固定観念とも言える。

今一度、凝り固まった頭をほぐし、

初心に返って物事を考える。

当たり前の原点を知り、

追求する事が大切だ。