2019
8
May

偏愛紀行

そんなにも欲が抑えられないのなら

カメラマンが人の畑を荒らしたり、野生動物などに過度な人数が押しかけて撮影をしている姿がネットで話題になったりするたびに、僕の中で、「写真を撮るという行為の価値」がどんどん低くなっている感じがする。

写真を撮ると言う事が「思い出の1ページ」であった純粋な頃の僕はもう失われてしまった。

今でも心の中では

「ステキな感動をありがとう」

のワンショットを思って撮影をしているつもりだけども、その行為が周りからどう観られているかはまた別の話だ。

僕らが撮影したその写真は、様々な意図で世界に出回る。その場でどんなに上っ面の言葉を並べていたとしても、カメラマンが群がり、周りを顧みない姿をみたら、その夢は一気に崩れてしまう。

カメラマンってみんなこんな感じなの??ってがっかりするだろうよ。

というより、皆がっかりするだろうなって思うと僕まで悲しくなってしまう。

知らない人から見たら、僕もあの群れの1人であるから、カメラを出すことも躊躇してしまう。

このままではいつかフォトグラファーという職業が、みんなから憧れの的ではなくなる日がくるのかもしれない。例えば僕はマスコミ全てを知っているわけじゃないけど、憧れたりはしない。一昔前、YouTuberという存在が世間から避難されていた頃と同じような感じで、フォトグラファーもまた一括りにされてしまう事を僕は恐れている。

だからこそ盲目にならないように努力しなくちゃならない。

本当に撮りたいものがなんなのか考えるクセをつけなくちゃならない。

とりあえずチャンス舞い降りてきた!その情報買った!撮りに行かなきゃ!じゃなくてさ。

だって僕らが見たい世界ってそんなもんじゃないでしょ?

あなたの伝えたい世界ってそんなもんなの?

君にしかわからないような、誰に伝えようとしても上手く伝わらないもどかしいものが溜まっていって、伝えたい思いが溢れて、みたいな。それがアートってもんでしょ?

これはもちろん僕の固定概念だろうけど、それは本当に目指している姿として正しいの?

マナーを守る以前に、

それってなりたい自分なの?

どっかから聞いた情報でキツネの親子撮影しに行って、行ったらそこに以前リス撮影した時にご一緒した鈴木さんがおって、あっこんちわーすって、今日はあったかいよね〜なんて話しながら用意した三脚で場所陣取って…みたいな感じでしょ、そんな像しか写真から伝わってこないし、スゲェって思えないし、むしろ手抜きとすら思う。

楽して撮るなとは言わないけど、一生懸命やらないと楽しくなくない?

その賑やかな馴れ合い?みたいなのは何?コミュニケーションが楽しいのはわかるんだけど、そこで楽しんじゃう?みたいな。

それこそ命がけで、フクロウの親子が日々を送っているその木の下で?だよ?

そんな中途半端な感じで生き物と接するのは、一生懸命に生きている生き物に対して失礼だと思っちゃうんだよね。俺も生き物にカメラ向けてるし、それだけで多分ストレスなのはわかりきってるから、やるなら真面目に向き合いたいのよ。

ほんでそうやって撮った写真をSNSにアップして「かけがえのない瞬間、出会いに感謝。今日の撮れ高、最高だった。」とか書くんでしょ。片腹痛いわ。そんな写真になんの価値があるのよ。被写体がお前の承認欲求の道具になっとるだけやないかい!と思うよ。

それ、被写体に撮らされてるよ。

やるなら全力で遊ぼうぜ。

イイんだよそれで満たされてるなら。心の底から楽しんでいて、世の中に、動物に全く迷惑がかからないのならそれでいいよ。

だけど自分の中の理想とかけ離れていて、妥協の中でそういう撮影を繰り返しているのならその欲に終わりは無いだろうから、どうせ欲求解消するなら、もっと人の目につかないところでやって欲しいけどね。

だって誰の役にもたってないし、ただの性欲処理だと思うけどなぁ。

そういうの、オナニーって言うんだぜ。

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